はたして、〆切は必要であるのか?
投稿日:2022年01月24日
〆切という恐怖の概念について、私なりの解釈ができたので記事にまとめてみた。
目次
今回は〆切という概念について記事を書いていきたい。
締め切り、〆切、納期・・・。
「こんな納期じゃ間に合わないだろ」という営業の声、製作の声。
思えば子どもの頃から「夏休みの宿題を明日までにやらなければ」と〆切に追われていた。
未来は前を向くものだと私は思うのだが、未来にある課題に後ろから追われているこの奇妙な感覚は、〆切というものがあるからだろう。
結局、〆切は必要なの?
もちろん、答えはYes。
例えば、何でもいいが自分が商品を購入したとする。
商品を待ち望みにして待ち続けていられるのは、何日に届くという未来が決まっているから。
これも全部、〆切のおかげだ。〆切様万歳、我々の充実した日々を支える影の立役者である。
さて、なぜこんな身も蓋もない、当たり前の事実についてせっせと書いているかというと、”すべての物事に対して〆切が必要かどうか”という点を考えていきたいからである。
日常生活における行動に〆切をつける。洗濯、皿洗い、掃除、読書、ブログ記事、趣味、何でもいい。
行動一つひとつに〆切をつけること。それが必要かと言われたら、Yesなのかもしれない。
なぜ〆切が必要か
仕事で〆切があるのは、もちろん当たり前だろう。対価を得る代わりに必ず必要なことだから議論の余地はない。
最近読んだはあちゅうさん著書『とにかくウツなOLの、人生を変える1か月』でも、登場人物のOL編集長が〆切についてこんな胸に刺さる言葉を語っていた。
「そうかー。でもさ、雑誌だったら大変だろうけど……ウェブの記事でもそこまで厳密に記事公開の期限って守らなくちゃいけないの?」
「正直、守らなくちゃいけないことはないけど、守った方がいいと思う。ウェブ業界ってそこが適当だから、なんとなく、メディアとしての信頼性がないんだと思う。私は個人的にそういうのがずるずる守られないのって嫌」
「でも緊急事態だろ?」
「結果的にどうしても守れないのは仕方ないけど、ちょっと頑張るくらいで守れるなら守るのが、仕事だと思うの。それをしなくていいんだったら、私たちって何のためにいるんだろ? って思っちゃう。記事も適当で、〆切も適当だったら、そこら辺の学生団体のなんちゃってメディアと一緒じゃない? 会社として取り組んでいるんだから、私たちは、記事にも〆切にも、最善を尽くすべきだと思う」
リンク
この言葉を聞いた時に、自分の褌を締め直そうと思った。
仕事に対することはそうだが、私生活でも同じだ。
私は結構いろいろなことを先延ばしにしてしまう性格だ。
このnoveブログに関してもそうで、記事を書くことをすぐに先延ばしにする。
土日にまとめて書けばいいや→土曜日になり、日曜日にやればいいや→日曜日になり、平日の仕事終わりに1記事ずつ書けばいいや→土日に書けばいいや(以下ループ)
それも全部、〆切がないからだ。あったらあったで、自由時間なんだから縛られたくないと不満を持つ。なかったらないで、継続できない。副業を始めて、特にブログやアフィリエイトが続かない人の気持ちはよく分かる。
だって、しんどいもん。何を書くか決めることも、自由な時間を使うことも。
それでもきっと、自らを律して同じペースで継続できる人が成功するんだろうと思う。
だから、〆切は必要なのだ。どんな物事にも。
迫りくる〆切から逃れる、究極の解決方法「ルーティンワーク」
〆切は必要だ。よし分かった。明日から私生活にも〆切をつけ、バリバリ行動していこう。
それで行動できる人は、考える前に行動している。人は意志だけで自分を変えることができないと、確か何かの本で読んだ気がする。『夢を叶えるゾウ』だったかな?
だから、なるべく己を律していくためにも「ルーティンワーク」が欠かせなくなる。
今までの自分だったら「明日やろう」「何曜日やろう」という漠然な日にちの設定。
明日がくれば「昼休みにやろう」「夜にやろう」「お風呂入ってからにしよう」とダラダラ先延ばしにして、1日が終了する。
漠然な意志は持たない。
「明日の8:00~9:00、〆切についての記事を1000文字書く」結論最初はこれでいいのだ。
それがだんだん、「月曜日の8:00~9:00は記事を書く時間」になり、「毎朝8:00~9:00は記事を書く時間」になる。
いや、言いたいことは分かる、そんなにうまくいかないだろうと。
だから、私生活にも〆切が生まれる。〆切を設けて、重みを持たせルーティン化する。
〆切 × ルーティンワークの二刀使いが結局最善で最強なんだろう。
まとめ
ブログ更新を続けるためにも、〆切を課しルーティン化していきたい。
前の記事で小説新人賞に応募するまでの道のり ~新人賞の選び方~という記事書いた。
3月中に応募しなければいけないが、最初の勢いはどこへやら、書く手はすでに止まっている。
ただ、周りに公言しているため、応募することは必須。
己を律するためにも(意志だけではできないが)この記事を十字架にしてやっていきたい。
- # 小説
- # 新人賞
- # 新人賞に応募してみる
この記事に対するコメント