拝啓「葉桜の季節に君を想うということ」を読んでない人に告ぐ。この本はどんでん返しがある。

「葉桜の季節に君を想うということ」を読んで衝撃を受けたので、感想を書いてみた。

目次

どんでん返しがあるなんて言わないで

本屋に行って、本を手に取る時に’げんなり’とすることがある。

それは「どんでん返し」等を謳う本の紹介文を見た時である。

いや、確かにその文言に惹かれて購入することが多々あるので、マーケティング的には成功と言わざるを得ない。

読んでいる途中、どんなどんでん返しがあるのかしらなんて、ウキウキ、ワクワクが止まらないので、読書も楽しませてくれる。

そしてこのまま行けばこういうラストが予想できるけど、どんでん返しがあるならこういったラストになるんだろうなあ、なんて予想をつけながら読む。

その過程は大変面白いのだが、問題はラストである。

どんでん返しを予想した読者は並大抵のどんでん返しには驚かないのである。

「え、思ってた通りなんだけど」

「え、どんでん返しってこのレベル」

なんて思って束の間の絶望をする。

作者は悪くない

作者には同情せざるを得ない。

決して作者は悪くない。

だって、読者がどんでん返しがあるという心持で読まなければ、きっとものすごい衝撃を読後に受けたのかもしれないのだから。

紹介文を書いた人も悪くない

だからと言って紹介文を書いた人を責めているわけでもない。

きっと紹介文を書いた人は何の前提も前知識もなく、読んだ衝撃で、紹介文を書いたのであろう。

その時、少しだけ後に読む読者への心遣いができていれば文句なしだが、責めるほどではない。

きっとこれは仕方がない

だってそうでしょう。

もしあなたが、ラストに衝撃を受けた本を友人に貸す時、きっとあなたはラストに少なからず、言及するでしょう。

「絶対にラストまで読んで」

と、うまくどんでん返しを隠して伝えたと思ってもラストに何かがあることは無事に伝わっている。

そして友人は身構えるだろう。

きっとラストに何かあるはずだって。

つまりもうこれは仕方がない。

誰にも防げない、作者、紹介者、読者、みんなにとっての貰い事故のようなものである。

で、話はタイトルに戻る。

「葉桜の季節に君を想うということ」はについて満を持して言う

「葉桜の季節に君を想うということ」という本を知っているだろうか。

タイトルが美しいという点で有名な本書。

どんでん返しがある(小声)

この本は「どんでん返し」があるのである。

わかる、言いたいことはわかる。

これは貰い事故の誘発にあたる。

だが、安心して欲しい。

きっとこのブログを読んで、「どんでん返し」があるという思いで買った「葉桜の季節に君を想うということ」はきっとあなたの想像をはるかに超える「どんでん返し」がある。

けど私は内容に触れることはできない。

なぜならすべてが伏線のようなものなのだ。

どんでん返しがある(迫真)

この本で唯一言えることは「どんでん返しがあるので心して読め」それだけである。

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