谷崎潤一郎の陰翳礼讃を読み家作りについて考えてみた

夢のマイホーム計画を思いつき、はや四ヶ月。色々考えていたことがあったが、谷崎潤一郎の陰翳礼讃を読み世界ががらっと変わった。

目次

そうだ、家を建てよう

今住んでいる賃貸の家賃は10万近く、それに2年ごとに更新料がかかる。

それを死ぬまで払い続けるとなると家を買ったほうがお得じゃないか。

そうか、それなら家を買おうと思いついた。

ハウスメーカー巡りが始まる

昨今の流行りは生活感のない、曰く「ホテルライク」の家らしい。

全館空調でどの部屋に行っても温度の差がない。

さらに言えば、帰ってきた時にもう涼しいし、温かい。

部屋は白が基調で、清潔感がある。

外観は、四角く、すっとしている。

確かに、良い。

中には全室床暖房を謳っているところもあり、寒がりの私にピッタリである。

これはもう決まりからしら、なんて思っている時に谷崎潤一郎の陰翳礼讃を読み、世界観がガラッと変わった。

幸か不幸かわからないのだが。

陰翳礼讃の出会ってしまった

出会ってしまったなんて書いているが、再読である。

記録を見ると2018年に読んでいるので3年前。

その時にどう思ったか感想が残っていないのでわからないが、今回はガツンとやられた。

本は本当に読む時、場所によって感想が変わってくるものである。

陰翳礼讃曰く、

西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着したが、いにしえの日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識・美学の特徴だと主張する。

つまり、ホテルライクと真逆と言って等しい。

谷崎はこの本の中で「家」についても述べている。

私は建築のことについては全く門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く/\尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う。これに反して、われ/\の国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇が作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も眼立つものは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にたゞよう濃い闇である。時とすると、白昼といえども軒から下には洞穴のような闇が繞っていて戸口も扉も壁も柱も殆ど見えないことすらある。これは知恩院や本願寺のような宏壮な建築でも、草深い田舎の百姓家でも同様であって、昔の大概な建物が軒から下と軒から上の屋根の部分とを比べると、少くとも眼で見たところでは、屋根の方が重く、堆く、面積が大きく感ぜられる。左様にわれ/\が住居を営むには、何よりも屋根と云う傘を拡げて大地に一廓の日かげを落し、その薄暗い陰翳の中に家造りをする。

とのこと。

あくまでもこれは谷崎の感想に過ぎないのだが、どうにもこの文章を読んでいると「間違いない」と言いたくなるのである。

そうなると、四角い白い家なんて論外でしかない。

やっぱり、家には大きなひさしがあって、なんて訳知り顔で言ってみる。

ホテルライクじゃなく、旅館ライクな家が欲しい。

が、どうやらホテルライクの方が安いようである。

陰翳礼讃にガツンとやられ、家づくりに関する思いは変わったが、陰翳礼讃を読んで懐事情に変化はない。

家づくりは妥協の連続だと改めて思う。

この文章もいずれ自身の書斎でかけるようになればいいのだが。

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